東北大救急の歴史
東北大救急の歴史
- 1984年(昭和59年)6月
- 宮城県知事より東北大学学長に対し、医学部附属病院への救急部新設要望書を提出。
- 1985年(昭和60年)4月
- 東北大学病院に救急部が新設。救急医療体制の基盤が整備された。全国国立大学で24番目。
- 1992年(平成4年)4月
- 医学部救急医学講座が、大阪大学、東京大学に続く、国立大学として全国3番目の講座として開設。
- 1993年(平成5年)1月
- 救急部長であった吉成道夫先生が初代教授に就任。
- 1994年(平成6年)12月
- 宮城県保健福祉部長から東北大学医学部長に対し、「高度救命救急センター」の設置要望書を提出。
- 1997年(平成9年)3月
- 災害拠点病院指定。
- 1998年(平成10年)9月
- 篠澤洋太郎先生が第2代教授として着任。
- 1999年(平成11年)4月
- 大学院医学系研究科麻酔・救急医学講座救急医学分野が設置。
- 同年 6月23日
- 医学部附属病院前交差点で交通死亡事故発生。傷病者は直近の当院ではなく他院に搬送された。目の前で倒れた人に手を差し伸べることができなかった反省から、病院を挙げて医療安全と救命救急体制の強化に取り組む契機となる。
- 2004年(平成16年)4月
- 記念碑「救命救急と医療安全」建立。医療安全と救命救急に対する当院の決意を示す象徴として、多くの人々に医療の重要性を伝え続けている。
- 2006年(平成18年)6月8~9日
- 篠澤洋太郎先生が第32回日本熱傷学会学術集会(ホテルメトロポリタン仙台)を主催。
- 2006年(平成18年)10月
- 東北地方で2番目となる高度救命救急センター開設 。
- 2010年(平成22年)11月
- 久志本成樹先生が第3代教授として着任。
- 2011年(平成23年)3月11日
- 東日本大震災発生。発生後、病院を挙げて被災地の傷病者の受け入れをおこなった。当科は、高度救命救急センターで救急患者を積極的に受け入れ、宮城県庁災害対策本部や被災地病院へのスタッフ派遣など、急性期災害医療に尽力した。
- 2016年(平成28年)10月
- 宮城県ドクターヘリの基地病院の一つとして運用を開始。
- 2018年(平成30年)4月
- 新専門医制度(日本専門医機構認定)による専門研修開始。東北大学病院を基幹研修施設とする「みやぎ・東北大学救急科研修プログラム」1期生3名が研修開始。
- 同年 5月
- 高度救命救急センター移転。先進医療棟1階へ移転し、東北地方初、全国で12番目のハイブリッドER、通称”iTUBE”を導入。初療室での診断から治療までを一貫して行う体制を構築。
- 同年 9月14~15日
- 久志本成樹先生が第10回日本Acute Care Surgery 学会学術集会(仙台国際センター)を主催。
- 2019年(令和元年)10月
- 台風19号発生。宮城県は大きな被害を受ける。当院からDMATおよび災害医療コーディネーターを派遣した。
- 2020年(令和2年)
- 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が流行。
- 同年 12月7~8日
- 久志本成樹先生が第34回日本外傷学会学術集会”Decision for the NEXT”を主催。新型コロナウィルス感染拡大を受けて、当初予定の5月からWeb開催として、12月に開催した。
- 2024年(令和6年)1月
- 能登半島地震発生。DMAT/JMAT隊員を派遣した。
- 同年 2月
- 東北大大学病院臓器移植支援室開設(室長 久志本成樹)。
- 同年 10月13~15日
- 久志本成樹先生が第52回日本救急医学会学術集会「君は輝く」(仙台国際センター)を主催。家族と一緒に参加できるよう、親子参加型の「WINK企画」など新たな学術集会のスタイルに挑戦した。
- 2025年(令和7年)
- 工藤大介先生が第4代教授として着任。
歴代の教授
吉成 道夫
- 来歴
- 初代教授 1993年~1997年
故人
Photograph

篠澤 洋太郎
- 来歴
- 第2代教授 1998~2010年
東北大学名誉教授
新久喜病院

久志本 成樹
- 来歴
- 第3代教授 2010年~2025年
東北大学名誉教授
川崎幸病院






